水の多い名古屋市港区について、詳しく解説するサイト『水の都・名古屋市港区』

●●●西福田●●●

【茶屋後神明社】

この神明社は1679年に茶屋長以が築堤成功に際し、三十番神を氏神として祀られました。
三十番神とは日本古来の神々で、ひと月三十日を神々が交代で見守るという考えです。
しかし明治になると神仏習合は許されず、伊勢神宮の分霊を勧請し神明社となりました。
明治に入ると茶屋後新田のあたりは関戸家の所有地となりました。
ここは低湿地のために水害が多かったのですが関戸家は排水機を設置するなど対策を施し、
自作農創設制度ができるよりも先に小作人に田畑を安く分譲しました。
その感謝の意を込め、地元の農家は関戸家頌徳碑をこの茶屋後神明社内に建立しました。

【延命地蔵尊】

この仏像は昭和区の八事山興正寺を開山した天瑞円照和尚が1688年に彫った木造仏で、
1763年の台風の際に一度流失してしまいました。
しかし村人が海岸にこの仏像が流れ着いているのを見つけ、ここに安置されたそうです。
安置される際には二度と流されないようにと、高さ3メートルのところに祀られたことから
高地蔵とも呼ばれています。
この暴風雨にも負けない延命地蔵は五穀豊穣、病気全快にもご利益があります。

【下中神明社】

下中神明社は1878年に五穀豊穣と村中安全を祈願して鎮座されました。
しかし何度も大きな水害が発生し、本殿は荒廃してしまいます。
1913年に再び本殿を造営されますが、今度は1959年の伊勢湾台風によって被害を
受け、1982年に現在の本殿が造営されました。

【御鍬神社】

西福田新田は干拓後も不作が続きました。
その後に福田川を開削、戸田川を改修して水が田畑に行き渡るように工事を行い、今度こそ
豊作をと祈願し祀られたのが御鍬神社です。
御鍬神社の社の横には供養塔が建てられています。
伊勢湾台風の頃までは、現在西福田小学校となっている場所に火葬場がありました。
このためにこの供養塔が作られたそうです。
このあたりも昔から水害に悩まされていたために五穀豊穣を願う農民の信仰が厚く、多くの
神社やお寺が建立されました。
豊作のためには水が必要だけれども、それによって水害とも隣り合わせになってしまう。
昔から人々は神仏に祈りを捧げてきたのです。