水の多い名古屋市港区について、詳しく解説するサイト『水の都・名古屋市港区』

●●●茶屋新田●●●

【新田】

戸田川緑地から東海通を東へと歩き知多交差点を過ぎると、南側に茶屋新田が広がります。
旧南陽町地内は全て新田なのですが、完成した時期によって地名が違います。
最初に完成したのは新川と戸田川に挟まれた福田新田で、1640年のことでした。
次がその名のとおり福田新田の西側、戸田川の西側の部分にある西福田で、福田新田から
3年後の1643年に完成しました。
その次が茶屋新田、現在では東茶屋、西茶屋となっている区域で1663年の完成です。
最後は1677年に茶屋新田の西側が、西茶屋新田ではなく茶屋後新田として完成します。
ここで干拓は一段落となり、次の新田が完成するのは72年後です。

【福田前新田】

茶屋後新田の完成から72年後、1749年に完成したのが戸田川の西側の福田前新田です。
その後1788年に茶屋新田の東側の部分が七島新田となり、茶屋新田、茶屋後新田の南側
にそれぞれ藤高新田、小川新田が1797年に完成、1822年には藤高新田のさらに南側
が藤高前新田として完成、旧南陽町の区域の埋め立てが完了しました。
福田新田の完成から藤高前新田の完成まで約180年、人の手によって長い時間をかけて
この南陽町は作られたのです。

【神明社】

神明社は新田完成から数年後、農業の守護神として天照大神を勧請し祀られました。
ある時期、神明社と八幡社の2つの神社はひとつになっていました。
1815年の洪水で堤防が決壊し、八幡社は社殿が大破してしまったからです。
その後1884年、八幡社は再び復旧鎮座して、1933年には五十年祭、1983年には
百年祭が取り行われました。
この地域は今だに洪水の恐怖に晒されており、氏神さまが洪水に流されっぱなしの状態では
信仰が厚い村民が放っておけるわけがなかったのです。